D-musica   Top FLYER LINKS About us お問合せ

 

アルバムインフォメーション

 

exprimo / 古谷 淳
DMCD-03 税抜2381円+税

 


▼ 下記のサイトで購入できます 

HMV

TOWER RECORDS

disk union

 

 

 

 

Flyer
フライヤー

 


D-musica 第三弾    2009.10.10 Release

「降り注ぐ光の中、次世代担うトリオの今を描くexprimo(表現)」
端正なタッチ、美しい音色、それを支える確かな技術、そして彩られゆくフレーズの数々・・・。
このピアノには自然体の「美」が溢れている。
世界を経験した3人が、出会い、集ったこのトリオの「今」は次世代を照らす光となる。
注目のピアニスト古谷淳、初リーダー作!!

 

    


 

   title

 

 

Live Information

 

 

 

Member Profile

 

古谷淳(フルヤ ジュン) :ジャズピアニスト/作曲家: 
 16歳で渡米、オハイオ州グレンオークハイスクールのビッグバンドGlenoak Jazz Eastのピアニストとしてアメリカやカナダで演奏する。92年ウッディ・ハーマンジャズアワード受賞。その後カリフォルニア州オレンジコーストカレッジに入学、95年バークリー音楽院へ編入。在学中よりプロとしてボストン、ニューヨークを中心に活動を始める。ボストンの老舗ジャズクラブ、ウォーリーズでのレギュラーをはじめ、数々のコンサート、レコーディングに参 加。2000年度ベスト・オブ・バークリーコンサート出演。トップジャズミュージシャン達--ボブ・ガロッティ、ウォーレン・ウルフ他--と交流、共演を重ねる。米国アーティスト・ビザを取得後アメリカのみならず日本、カナダ、韓国をはじめ各国で演奏を行う。2005年夏、韓国の"Jarusam Jazz Festival"にモンク・コンペティション'97優勝者、ダレン・バレットと共に出演。現在自己のトリオの他、村田憲一郎、大森明、礒見博、佐藤恭子のプロジェクト等に参加。また出身地山梨県においての更なるジャズの普及、後進の育成のため精力的な活動を行っている。
Jun FURUYA ( http://www.myspace.com/junfuruya )

 

中林 薫平(ナカバヤシ クンペイ)
1981年生まれ。高校入学と同時に甲南高校ブラスアンサンブル部に入部し、ウッドベースを始める。高校生ビックバンドのコンテストである、 Student Jazz Festivalにおいて、2年連続1位となる。甲南大学に入学し、JAZZ研究会に入部。2003年守口・門真ジャズコンテストでは、グランプリ、ベス トプレイヤー賞を受賞。卒業後、日野皓正、吉田次郎、嶋本高之らと共演し、2005年に上京。佐山雅弘バンド、鈴木勲「OMA SOUND」、市原ひかりGroup等でプレイする。
2008年より自己のカルテットを結成し、オリジナルのジャズスタイルを追求し都内のジャズクラブにて活動している。
2008年7月にミニアルバム「Graffiti」をリリース。
その他、ベーシスト3人だけの自己のバンドや、劇団とのコラボレーションなど活動は多岐にわたる。

 

柴田亮 (シバタ リョウ)
 1981年、大阪生まれ。幼少の頃から音楽に親しみ、10歳の頃、 ドラムに出会う。中学高校と江森文男氏に師事し、高校卒業と同時に神 戸の甲陽音楽院に入学。在学中に関西のJazz clubでの演奏する かたわら、様々なジャンルのバンドに参加し経験を積む。2002年に、同校が主催するBerklee音大の奨学金テストに合格し、留学 を決意。

 2003年の初春、ボストンのBerklee college of musicに入学。同校にてTerry linn Carringhton, Mark walkerにドラムを師事し、How to Improの著者として知られるHal Crook
(Tlb)、Jerry Bergangy(T.sax)の Bassistとして知られるDave SantoroにImprovisationのレッスンを受講する。また、在学中には客員教授である小曽根真氏のマスタークラスを受講し、氏を通じて現在NYにおいて最も多忙なドラマーの一人Clarence Pennとも交流を深める。

 2007年から卒業に至るまで同校の学生選抜グループに参加しオレゴン、カリフォルニア州へのツアーや、北米三大Jazz Festivalのうちの一つJVC Jazz Festival in NYCに出演。そして同年9月に同校において最も栄誉とされるBerklee Monterey Qurete2008 の一員としてMonterey Jazz Festivalに出演する。その後も2008年3月には同グループでDave Douglus率いるSF Jazz colectiveのボストン公演で前座を努め、8月にはボストンの現代美術館での公演を行う等、積極的に活動する。

 2008年9月に東京に居を移し、首都圏を中心に音楽活動を始める。帰国後も'08年、'09年に香港人Gt. Simon Yuと二度に渡る中国ツアー。また'09年にはMontreux Jazz Gt,Competition 2008WinnerのJeff MIlesとMontreux Jazz Fest.に参加する等、世界を舞台に活躍中。

 

 

 

日々の音                     古谷 淳


Exprimo ラテン語で表現(expression)の語源にあたる言葉。
本来は果実を絞るという意味。


アルバムを創ろうと、ふと思い立ったのは2008年の春でした。
ごく自然に、僕にそう思わせる条件が整ったからです。

その前年、2007年の秋、僕は2週間ほどN.Y.に居ました。

僕が人生の半分を過ごしたアメリカに、2005年から日本に活動拠点を移して以来の
2年ぶりの滞在でした。

ボストンで生活していた頃の仲間達や尊敬する先輩ミュージシャン達との久々の再会があり、
日本では聴くチャンスの少ないプレイヤー達のライブへ足を運んだり。
毎晩のように行われる深夜のジャム・セッション、素晴らしい演奏を聴く事、
刺激的な人々との交流、懐かしいアメリカの空気や何気ないカフェでのひととき。

自分の中にとてもポジティブなエネルギーが蓄積されていくような感じでした。

そのジャム・セッションの1つでボストンでよく一緒に演奏していたテナー奏者と
偶然再会しました。

彼は年末から新年にかけて一時帰国する、と話してくれました。
そして都内で行う彼のライブに誘ってくれました。

現在もニューヨークで活動を続けるそのテナー奏者、西口明宏君の一晩限りの
東京ライブでドラマー柴田亮、ベーシスト中林薫平の2人と出会ったのです。

何より2人の人柄の良さ、音楽に対する純粋でいて妥協の無い姿勢、
そしてその音楽性の高さに僕はすぐに惹かれました。
その数ヵ月後、このトリオの活動がスタートしました。
オリジナル、スタンダード問わずレコーディングではあまり制約を設けず、
それぞれの曲に対して3人が自然に見つける方向を重視しようと考えていました。

自分のスタイルやカラーといった物を意識的に創り上げない、囚われないようにすることが
むしろ僕にとっての自分らしさではないかと感じていました。
少しラフなサウンドを残したかったのであまり作り込まない、というアイディアは良い選択でした。

完成したこの"Exprimo"にはそんな僕のイメージを映し出す音が聴こえてくる作品になった
と思っています。
アルバムに収録されている曲は全て、僕がアメリカに暮らし、
日本に戻るまでの時間の中で少しずつ出来上がったもの達ばかりです。

絶え間なく続く、決して特別ではない日常の積み重ねの中に生まれた音楽である事。

今回のアルバム製作に限らず、これは僕の原点であり同時に目標でもある
"Effortless"に通じる大切な事です。
(エフォートレス・マスタリー:ピアニスト、ケニー・ワーナーの提唱する哲学であり著書のタイトル。)

僕はその決して特別ではない日常の中にこそ幸せや感動が溢れていると信じるからです。

これからの演奏を通して、ゆっくりと、そんな思いが皆さんに伝われば幸いです。

 

2009年 秋 古谷 淳

 

 

 

ライナーノーツ

 

 

近年はアメリカでジャズを勉強してきたという日本人ミュージシャンはちっともめずらしくなく(それどころかそうでない人を探すほうがむずかしいくらいだ)、我々きき手もそのことに特別な価値を見出しにくくなってきているけれど、しかしそこには一つ、見落としてはならないファクターがあるのではないかと僕は考えている。それはその人が「いつ、どんな目的で、アメリカに渡ったか」ということだ。
  アメリカに留学してジャズを学ぼうと考える人の多くは、将来プロになりたいという思いが高じて、つまり強い目的意識を持ってかの地に渡るケースがほとんどだろう。だから彼らはそこで、きわめて合理的なやり方でジャズを学ぶ。裏を返せばジャズ以外のことを学ばない。もちろん日々の生活の中でさまざまな交流はあるだろうし、アメリカの文化も自然に身体の中に入ってくるだろうが、それでも最優先されるのはジャズを学ぶこと。結果そこには、理論や技術は本場仕込みだが感覚は日本人、という独特の個性が形成されることになる(もちろん僕はそれをまったく否定しない。なぜならそれが、日本人がジャズをやることの価値、につながることもままあるからだ)。
  ならばそうではない場合はどうなるのか。たとえば、古谷淳のように。

  実家が交換留学生を受け入れるホスト・ファミリーをしていた関係で幼い頃から外国人と接する機会の多かった古谷淳は、自身も次第に異国の文化や生活にあこがれるようになり、16歳の時アメリカに単身留学する。だがその留学は、ジャズとはまったく無関係のものだった。両親ともに音楽家で、家庭の中には常に音楽があふれていたが、物事を強制しないという父親の教育方針ゆえに、彼が両親から正式に音楽レッスンを受けたことはなかったし、クラシックをきいたりピアノで即興したりということはあっても、それはあくまでも本を読んだり外で遊んだりするのとおなじ意味しか持っていなかった(ジャズについていうと、ストレートアヘッド・ジャズはまったく好きではなかったが、キース・ジャレットやポール・ブレイのソロ・パフォーマンスには惹かれたそうだ)。
  ところが留学先の高校のビッグバンドにピアニストとして参加したことから、彼の人生は一変する。この後のプロフィールはホームページにくわしいので要点だけを記すと、「92年にウディ・ハーマン・ジャズアワードを受賞後カリフォルニアのオレンジコーストカレッジに入学し、95年にバークリー音楽院に編入。在学中からプロ活動をはじめ、米国アーティスト・ビザを取得後は世界各国で演奏活動をおこない2004年に帰国。現在は、東京都内を中心に活動を展開している」ということになる。
  僕はライナーでミュージシャンのプロフィールを延々と紹介することはあまりしないのだが、今回あえてそれをしたのは、彼の経歴がその音楽の在りようと深く関係しているように思えたからだ。ジャズとは無関係のところでアメリカに行きそこでジャズの魅力に開眼した人の奏でる音楽と、最初からジャズが目的であの国に向かった人のそれとでは――優劣ではなく質感の点で――肌触りが異なるのではないか…そんな想像をさせる響きが古谷淳のピアノにはたしかにあるのだ。

  古谷淳の演奏をきいて僕がまず心惹かれたのは、その音楽がきわめて"自然"ということだ。ことさらにブルース・フィーリングを強調したり、逆に日本人であることを前面に押し出したりという無理矢理感が、この人の演奏するジャズからは少しも感じられない。その理由を僕は、彼がアメリカの空気を自分の国のものとして呼吸し、だからジャズという音楽を特別なものとして捉えていないからではないかと想像する。ゆえにその音楽は、これがデビュー・アルバムだとはちょっと信じられないくらい肩の力の抜けた安定感を感じさせるのではないか。
  ただだからといって、そこに主張が希薄だということではまったく、ない。むしろ近年のストレートなジャズ作品としてはめずらしいくらいの"意志"が、このアルバムには横溢している。たとえば彼のオリジナル。伝統的なモーダル・セオリーを踏襲しながらもハッとするような独創的意匠を随所に散りばめ、なおかつどんな局面にあってもメロディックな語り口を失わないそのコンポジションは、既成の形式を乗り越えようとするチャレンジ・スピリットの証といえよう。また2曲のスタンダード・ナンバーの扱いは斬新としかいいようのないものだし、さらにいえば沖縄歌謡の名曲《えんどうの花》を取り上げた選曲眼とその処理の見事さは、この人の音楽的感度の鋭敏さを示すとともに、「他人とおなじことは絶対にすまい」というマニフェストであるようにも思える。
  そういった主張があるにもかかわらず、しかしそれでもなお古谷淳の演奏は自然さを失わない。そこには無理に作り上げたという作為性や人工臭、テクニックの過剰なひけらかしが皆無で、だから音楽はきき手をまったく警戒させず、その心の内に易々と侵入してくる。こういうオープンマインドなフィーリングは、やはりその音楽が生まれた国にポジティブな感覚でもって自然に溶け込んだ人だからこそ持ち得る特質なのではないか。
  では具体的には彼の演奏のどこがどう自然で、どう人の心を惹きつけるのか。

  オープニングの《パパズ・ムーヴ》は、高速なテンポといいモーダルで複雑な曲の  作りといい、まさに「アフター・ウイントン」的なナンバーだが、にもかかわらずここには「わかるやつだけわかればいい。そしてわかるやつは、きいて驚け」という傲慢さ(80年代のウイントンには明らかにそれがあった)はまったくない。その理由はおそらく、ラインとフレージングの構成にいっさいの衒いがなく、音楽が彼の心映えを率直に映し出しているからだろう。またこの演奏をきけば、この人が素晴らしい技術(とりわけビートを絶対に逃さない指回りの耐久力)の持ち主であることが即座に理解されるわけだが、しかしその技術はただ単に速さや正確さをめざしたものとは質が違う。技術そのものよりもそれを使って何を語るかを第一義とする、その志の高さゆえ、彼のピアニズムにはある種の余裕が感じられるのだ。
  そういう古谷の志向性は、以降のトラックではさらに顕著になる。次の《シークレット》は1曲目とはうって変わって柔らかな叙情を前面に打ち出した楽曲だが、こういう曲想にこそ彼のめざす表現が端的に示されているのではないか。興味深いのは、これだけメロディックなテイストを持ったナンバーであるにもかかわらず、ここに過度な感傷がない点。あえてどっぷりとは歌いこまない、それでいて強い説得力を持つアドリブと相俟ってドライなリリシズムを放つこの演奏は、古谷淳のインターナショナルな感性を示す例証といってもよいと思う。
  アメリカに渡った目的がジャズを勉強するためではなかったとはいえ、日本にいた頃の彼がごく自然に音楽に親しんでいたことは先にも述べた。そんな彼の音楽の原風景を感じさせるのが、ソロで弾かれた《オーバー・ザ・レインボウ》だ。人口に膾炙した感のあるこのスタンダードを、美しいリハーモナイズと清新なアプローチで再構築してみせたパフォーマンスは、「ウィンダムヒルのピアノ音楽を好んできき、それに合わせて無心に即興していた」という体験によって培われた感性/音楽観が、無垢のままに保持されていることの証左ではないか。全編を横溢する切なさ全開のフレーズは、ジャズにあまり関心のない人をも虜にするに違いない。
  以下この調子で続けていったら紙幅がいくらあっても足りないのでもうやめるが、ただ先述した《えんどうの花》の見事な処理(放物線を描くようにゆるやかに音楽が高揚し、そのピークで出現するトランス的興奮。私見ではこの演奏は本作中の白眉)と、《ブルー・ムーン》における時が止まるかのようなテンポ設定とそれがもたらす求心力だけは指摘しておきたい。これらの演奏は、一見口当たりが柔らかく見えるこの人の音楽が、その実やむにやまれぬ強烈な表現欲求の上に成り立っていることを教えてくれる。
  これは、鬼面人を驚かすセンセーショナルな派手さを持った作品ではない。だがその音楽にこめられた真摯な思いは、どんな大作にも、どんな問題作にも、劣らぬ滋養をきき手にもたらしてくれる。消費されるだけの音楽があふれる現代だからこそ、これは多くの人の耳に届くべきだと僕は思う。

  最後にサイド・メンバーのプロフィールをご紹介しておこう。
  ベースの中林薫平は1981年生まれ。高校のブラスバンド部でウッドベースをはじめ、大学在学中の03年「守口・門真ジャズコンテスト」においてグランプリとベスト・プレイヤー賞を受賞した。その後日野皓正や吉田次郎らとの共演を経て、佐山雅弘、鈴木勲、市原ひかりのグループに加入。08年からは自己のグループを結成し都内ジャズクラブで活動している。
  ドラムの柴田亮も中林とおなじ81年生まれ。10歳でドラムと出会い、中学・高校と江森文男に師事したのち甲陽音楽院に入学。03年からはバークリーに留学し、多くのミュージシャンと交流を深め、多岐に渡る活動を繰り広げる。08年に帰国後は、首都圏に拠点を置きながら、中国ツアー、モントルー・ジャズ・フェス出演など、インターナショナルな活動も展開している。
(2009年8月21日 藤本史昭) 

 

 

Design


北川正 (Kitagawa Design Office)

 

 

 

 

 

このページのトップへ

 

 

会社概要   |   個人情報保護ポリシー   |    特定商取引法の表記